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映画は好き。でも少ししんどい、と感じている人に―ジャームッシュ『パターソン』
REVIEW
2017.11.15 update.
以前の記事にも書いたけれど、高校生の時にフォルツァ総曲輪で『リミッツ・オブ・コントロール』を観て以来、私はジム・ジャームッシュ作品の熱烈なファンになった。
ジャームッシュはロックと文学に強く影響を受け、作風にも濃く反映している監督だ。
ゆえに彼と同様に(と私が言うのは不遜な気もするけれど)、ロックと文学どちらも映画と同じくらい、もしくはそれ以上に愛している私が彼の映画を好きにならないはずがなかった。
そして、『パターソン』。待ちに待ったジャームッシュの最新作が日本に上陸した。
先立って公開された都市圏から絶賛の声が漏れ聞こえてくる中、富山で公開されるのが待ちきれずここ数ヶ月悶絶していたのだが、ようやく先日J-MAXシアターとやまへ観に行けた。
(J-MAXが、シネコンでありながらミニシアター映画枠を設けていることはこれも以前の記事に書いたけれど、この枠にこれほど感謝することになろうとは思ってもいなかった。ありがとうJ-MAX)
さて、『パターソン』のストーリーは、ポスターや公式サイトにもある通り、とてもシンプル。
『パターソン』は、ひっそりとした物語で、主人公たちにドラマチックな緊張らしき出来事は一切ない。物語の構造はシンプルであり、彼らの人生における7日間を追うだけだ。『パターソン』はディテールやバリエーション、日々のやりとりに内在する詩を賛美し、ダークでやたらとドラマチックな映画、あるいはアクション志向の作品に対する一種の解毒剤となることを意図している。本作品は、ただ過ぎ去っていくのを眺める映画である。例えば、忘れ去られた小さな街で機械式ゴンドラのように移動する公共バスの車窓から見える景色のように。
ジム・ジャームッシュ 映画『パターソン』公式サイト―ディレクターより
私が観る前に仕入れていたのはとにかく映画ファンからの評価が高いということと、「日常を描いた映画」という情報のみで、上記のジム・ジャームッシュのコメントは鑑賞後に観たのだけれど、もう納得できすぎて、思わずヘッドバンキングしてしまった。
なにせスクリーンを出た後、開口一番に出た私の感想が、「なんか…すごく『落ち着く』映画だったなあ」、だったからだ。
もちろんこの一言には、観ていた時に感じたもっといろんな種類の感覚が詰まっていたわけだけれど、それを私が下手な口であれこれ言い表そうとするのも野暮だと思うので、
これまたうまく言い当てられすぎてヘッドバンキングした、公式サイト掲載の著名人コメントを引用させていただきたい。
何でもないありふれた毎日というのはどこか不気味で、それは、簡単に刺激が手に入る映画のような日常に慣れ過ぎてしまったせいだろう。だからこそ、こんな、日常のような映画に強く惹かれる。
尾崎世界観(クリープハイプ) 映画『パターソン』公式サイト―コメントより
現実は映画ではない。事件も冒険も未曾有の危機も起こらない。ただ堅実な日常が続くだけ。この「パターソン」もブロックバスター作品の様に観客を飽きさせない為の波乱やアクシデントが次々起こる訳ではない。
パターソンという街に暮らすパターソンというパターン化されたバス運転手の劇的ではない7日間を共有する。
しかし、規則正しく繰り返される静かな毎日に詩が宿り、豊かに見えてくる。ジャームッシュは魔法のような映画を再び創り上げた。小島秀夫(ゲームクリエイター)同上
12時間以上見続けていられる。この世界にずっといたい。
ライアン・ジョンソン(映画監督『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』) 同上
3つ目に関しては私の開口一番の感想の同義語すぎてそれなーーー(激しくヘドバン)となったのだけれど、まあ、つまりはそういうことだ。
映画は濃密な時間を与えてくれるけれど、代わりに感情を激しく揺さぶられるようで、少ししんどい、と思うことも多い。でも、ああやはりジャームッシュは! 何気ない日常と、個性的な登場人物たち全員に優しく注がれる愛と詩情。私の心の置き場所はここにあったとすら思えるような、そんな118分だった。 pic.twitter.com/x55lQjfA0a
— LYRICODE (@lyric0de) 2017年11月13日
映画を観る時の「しんどさ」について
「映画は、濃密な時間を過ごせるから好き。でも観ている時間はなぜか少ししんどくて、体力がないと観終わった後にぐったり疲れてしまう。」
映画好きを公言している人の中でも、内心こう思っている人はそう少なくないんじゃないだろうか。まあ私のことなんですけど。
で、この「しんどさ」って、とにかくドラマとかスリルとかの刺激を追求しがちなハリウッドや全国ロードショー系映画界の風潮も理由のひとつではあるんだけれど、ミニシアター系映画も割とこういう「しんどさ」って結構あるじゃないですか。あるよね?
そんでもって、周りの評判もいいしちょっと気になるなー、と思っていても、予告とかあらすじにざっと目を通したらなんかヘビーなテーマっぽくて、「いま仕事忙しくて疲れてて体力ないし、今度にしよ…」と後回しにしてるうちに公開終了するとか、あるよね???
(私は最近『ダンケルク』がそうでした)
あと例えば、私はビクトル・エリセやタルコフスキーの映画がジャームッシュの映画と同じくらい大好きなのだけれど、これらの作品(ジャームッシュの過去作品も例外ではない)って別にドラマティックなストーリー性があるわけじゃないのに、やっぱり観てる間は「しんどい」んですよ。
この時の「しんどさ」の理由については、ストーリーの起伏がない中で必死に画面情報から解釈を見出そうとしてしまって疲れるのもあると思うのだけれど、結局、崇高すぎてヘビーなんですよね。その映画で表現しようとしている、(おそらくは社会問題とか哲学とかも絡んだ)ひとつの言葉には表せない何らかの「主題」が。
もっとわかりやすく言えば、その世界観での登場人物たちそれぞれに感情移入してしまうと、とてもつらい気持ちになってしまう、というか。最近話題の「共感性羞恥」というらしい、登場人物が恥をかくシーンが見るに堪えないタイプというか。不必要に共感しちゃうというか。
そんな、映画が「しんどい」人にこそおすすめしたい『パターソン』
でも、『パターソン』には少しも、まったくその種の「しんどさ」を感じなかったんですよ。
しかも、むしろ居心地が良すぎてずっとここにいたい、とすら思えた。
なんでかなー、と振り返ってみたのだけれど、
Twitterにも書いた通り、やはりひとつは、私たちが過ごす現実と地続きであるような何気ない日常を描きながら、詩という切り口でもって、きらきらと光を帯びたとても美しいものとして昇華していた、ということ。
そして何より、映画に登場する個性的な人物たち、全員の描き方に愛がこもっていた。
それぞれの人物がちょっとずつ、個性的がゆえのやっかいさも、ユーモアを交えつつちょっぴり描かれるのだけど、「でもあなたはそれでいいんだよ」と、そう全員が物語に肯定されているような、そんな愛を感じるんです。
現実の自分の「つまんない日常」でさえ、祝福されているような気分になったんです。
(追記:あと、私にとってはやっぱりジャームッシュだから、というのもあるんだろうな、と。ロックと文学を志向する、という同じ価値観に基づいて世界を切り取っていると知っているからこそ、ある種の信頼があるし、映画の空気感がまるで好きなバンドの曲、好きな小説家の本、お気に入りのブランドの服みたいに、しっくりと身に馴染む。)
それでいて、ストーリーも構造はシンプルながらよく練られていると思うのだけれど、もしかしたら映画がもたらす刺激をこそ志向している映画ファンにとっては、物足りなさを覚えるかもしれない。
でも、上記のような「しんどさ」を少しでも感じたことのある人に対しては、絶対の自信を持っておすすめできる映画です。
J-MAXシアターとやまでは11/17(金)夜の上映が最後で、私の遅筆も災いしてあと2日しかチャンスがないんですが、それでも、仕事帰りにでもセルフプレミアムフライデーを創出してでも行く価値あります。ていうか行ってください。頼む!!!
あ、まだ公開されてない地域の方はまだ余裕があると思いますので、ぜひぜひ優雅な休日の1シーンに、観に行ってみてくださいねー。
→『パターソン』劇場情報