Introduction by 谷崎千紗(LYRICODE)

富山のまちなかの学生シェアハウス「マチトボクラ」オーナーの伊藤大樹さんに、これまでの体験を綴っていただく連載コラム「マチトボク」をはじめます。地方でまちづくりに携わるすべての方、そして、地方を舞台に何か行動を起こしたいと思っているすべての学生・若者・大人の皆さんに、少しでも彼のまっすぐな言葉が届くことを願って。

Text by 伊藤大樹https://facebook.com/tai.chan.net.jp

 

思いがけないことから、このコラムは始まった。

「これまで体験したことを、ネット上に放流して欲しい。」あるデザイナーの方が、僕にそう言ってくれた。僕は前々から書くことは比較的好きで、他の人に書いて欲しいと言われるだけで舞い上がってしまい、すぐにコラムを書かせて頂くことにした。しかし、まだ20歳の僕は、実際に筆をとってみると「20年しか生きていない中で、誰かに価値のある考えを残すことができるのだろうか。」と、少し心配になっている。そこで、このコラムではカッコつけず、これまでの体験から感じたことや疑問に思ったことなど、「20歳なりの素直さ」から様々な体験を綴ることで、読者の皆さんに何かを感じとってもらえればと思う。

 

家出した僕は富山県へ向かう

僕はもともと富山県の出身ではない。むしろ、新人ルーキーの移住者で、今年でようやく富山5年目になった。今でこそ、これからも富山県で生活したいと思うが、正直なところ、僕が富山県に移住した時は「親から離れて生活できればどこに住んでもいい」と思っていた。

それは当時、石川県の中学校に通っていた僕が、親との小さな喧嘩をしたことがきっかけになっている。反抗期の影響もあったのか、僕は中学生ながらに「親から離れて自立したい」と強く思っていた。いま思うと自立するなんて、自分でお金も稼いでいないのに、よく言ったものだ。反抗期をこじらせたかのようにも思えるが、この気持ちのおかげで僕は何かの問題にぶつかった時に、「親になんて頼るものか」と思い、自分で試行錯誤して解決しようとしてこれたのかもしれない。おかげで親には心配をかけるし、自分自身は誰かに頼ることが下手になったが、何が起きても耐え忍ぶためのメンタルだけは鍛えられたと思う。

 

不純な動機でもいい。ただ歩みを止めることだけはしたくなかった

僕は親と小さな喧嘩をするまで、石川県内の進学校に進もうと思っていた。当時、僕は進学塾に通っていて、休みの日も家にこもって勉強をしていた。その頃は真面目に勉強をしていたが、僕には目標や夢もなかった。もちろん、何のために勉強をするのか、大学に行くのかなんてことも考えたこともない。進学塾に入った理由も、いつも遊んでいた友達がその塾に入ってしまったので、自分も塾に入って友達と一緒にいようと思っただけだった。こんな理由で、親もよく塾に入ることを許したなと思う。だが、僕は幸か不幸かその塾に入ってからむくむくと成績を上げて、担任に勧められるままに進学校を目指した。

しかし、中学三年の頃、僕は進路希望調査の途中で、「富山県の高専に進学する(寮に入りたい)」と誰にも相談なしに変更してしまった。面談の時に、担任の先生がとても驚いていたことを、今でも昨日のことのように覚えている。僕が通っていた石川県の中学校は、現在の高校に入学した生徒がいなかったらしく情報は何一つなかった。進学校に進むと思っていた生徒が、急にこれまで話にも出てこなかった県外の学校に行くと言って、先生は本当に驚いただろう。もちろん、先生には進学先の変更を何度も止められた。だけども、僕は誰かに止められただけで、気持ちを変えないほどとても頑固だった。僕は、良くも悪くも昔から「一度決めたら結果が吉と出るか凶と出るかはその人次第」だと思っているところがあり、結局先生の意見も聞かず、受験をしてしまった。そう、あの頃はまだ、高校のキャンパスすら見たこともなかった。それは先生も止めようとするわけだ。

僕はつくづく思う。何をするにしても、その時には正解も不正解も分からない。誰かの考えだって、毎回正しい結果になるとは限らない。ただ、何を選んだとしても自分自身がそれを正解にだって不正解にだって書き換えることができると思う。

〈02へつづく〉

 

伊藤大樹
高校生の時に、親との喧嘩をきっかけに富山県に移住。家族が転勤族だったこともあり、地方での人と人との距離が近い暮らし方に興味を持つ。無計画でポジティブが取り柄の現役大学生。富山県でまちなかシェアハウス「マチトボクラ」を経営し、地域との協働から若者が自分たちの住んでいる場所を大事にするための活動を行う。